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このブログずっと忘れとったわ

このブログずっと放置しとった


ソネットから、かわったことも完全に忘れとった

移行したことも忘れとって

もうしんでるとあせったけど、生きとってよかったわ


明日で70の大台に乗る。何か残しときたいという気持ちがじわじわと来たんさ


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ということで宝物のことは一旦置いといて②USJ

 父は大阪大空襲で、自宅を失い職場を失った。特に父の住む港区は米軍爆撃の照準点で激しいものであったという。職場の日立造船は軍需工場でもちろんのこと狙われた。そんな厳しい状況の中、九死に一生を得たからこそ、私に命がつなげられた訳だ。生き延びてくれたからこそ、自分は生を得ることができたのである。改めて誕生日は、自分に命をつなげてくれた両親に感謝する日だと思う。(家を焼かれしばらくは防空壕で暮らし、その後祖父の故郷に帰ったが住むところもなく、親戚の鶏小屋にしばらくいたらしい。)
 写真の辞令は、旧制中学を卒業し就職した日立造船のものである。日立辞令 (3).JPG燃える物は全て失ったはずなのに、なぜかこの辞令だけは残っていた。戦火の中生きぬいた証しなのかも知れない。ちなみに、この日立造船の焼け跡はUSJ(ユニバーサルジャパン)になってるらしいですわ。その話が分かってから、ぼくにはUSJは平和の象徴のように感じるんです。
 昨日からUSJも再開したそうですね。だからほんとよかった。USJにはほとんど関心はないけど、親父が過酷な青春を過ごした場所を訪ねてみたいと思ってます。

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ということで宝物のことは一旦置いといて

調布のアパートに住んでいて一番驚いたのは

一階の部屋に、高校の同級生が引っ越してきたことだ。

しかも同じ村の出身、しかも3年の時同じクラス

こんな偶然あるもんやぁ

おらが村の人口は8000人やから

同じ村人と広い東京で同じアパートに住むなんてすごい偶然や

もっとも、彼は近くの電通大の学生で、そこに住むことは特に不思議なことではない

千代田区にある大学生のぼくが、ここに住んでることがまあおかしいんやけど


ある日、彼の原付(村から何百㎞も自走してきた)を借りて電通大の近くか構内で乗っていたら、パトカーに止められた。どうもナンバープレートの村が怪しかったようだ。「どこにあるんやそんな村?」と訝しげに聞かれたこと覚えてる。

近くに持ち主もいたし、警察無線確かめたあと無事解放された。やましいことはなかったのだけど、確かめてる間ドキドキしたなぁ。


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ということで宝物は、大学生時代の日記だった

そんな日記があることも、すっかり忘れていたので

ちょっと嬉しかった


半年ほど前、大学時代に3年間過ごした調布を訪れた

グーグルアースで下調べしたときに、調布駅が地下化されていてビックリしたが、

実際に行ってみると、それ以上に驚いた


「街がかわっている!」


駅前に友人のアパートがあったのだが、跡形もなかった


自分の住んでいたアパートは、比較的新しくて住宅兼用(半分がアパート)の○○様方だったので、まだあるかもと思い探したが、跡形もなかった


近くに昭和後期独特の雰囲気のすてきな喫茶店があったので探したが、それもやっぱり跡形もなかった

その後、その喫茶店の名前が思い出せなくて、ずっともやもやしてたのだが、


その日記に「『ろ茶房』に行った」と記述されていて、もやもやが消えた


その『ろ茶房」のすぐ近くに小さな公園があった


ある朝寝ていると、「大変大変!」と大家のおばさんがけたたましく、鉄製の外階段を駆け上がってきた。


「公園で百恵ちゃんがロケしてる」

百恵ファンだったので、慌てて公園に駆けつけると、

赤いシリーズのロケで、宇津井健さんとセリフをかわしているところだった


その後すぐにロケは撤収。百恵ちゃんはスタッフと談笑しながら

アパートの方へ歩き出した。

そして、アパートへ戻るぼくと並走状態になったのだ

第三者から見たら、ぼくもスタッフと思うくらいの至近距離だった


でも悲しいかな、その時間は5分もなかった

もちろん話しかけることなんてできない

アパートに着くと、ぼくはそのまま振り返ることもなく鉄の階段を駆け上がってしまった

2度とないチャンスだったのに、ドキドキするだけで全てが終わってしまった

確かにしばらくは百恵ちゃんに恋をしてたような気がする


その後、百恵ちゃんはテレビの中の人へ戻り

三浦友和の家の中の人になってしまった



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ということで6月に入りました

いつもの年ならば6月というと、直「梅雨」を連想し、

鬱陶しい季節の到来かと思うけど、

今年はちょっと違うぞ!

緊急事態宣言も解除され

県外異動も自粛じゃなくなった。

まだまだコロナは不安だけど

とりあえず、開放感を感じている。

「いったい『不要不急』て何やそれ?」と改めてその言葉の意味を考えてたけど、

とりあえずそれからも解放や

そんな話は置いといて、この何ヶ月ステイホームでいろんな片付け、

自分的お宝がでてきた。

そのお宝の話はまた今度・・・



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ということで昨日から始めますた

昨日の「赤頭巾ちゃん気をつけて」の映像を見つけました
ヒロインは森和代(森本レオさんの妻)さんでした。この映画確か映画館で見ました。
https://www.youtube.com/watch?v=hGxd4q4gmPA

そして
幼少のビージーズ ビートルズとボブディランのカバー
ハーモニーが素敵
https://www.youtube.com/watch?v=b04dU_8500M&list=RDaQrvo50eTrg&index=2
https://www.youtube.com/watch?v=AjbVNNXjOzk
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ということで今日から始めます

中学生の頃から深夜放送にはまって、結局それが自分の低学力の元かも知れんのやけど(笑)
CBCのヤンリクとか好きになって、三久保さんとか局アナのファンになった。数少ない同級生深夜放送リスナーは、東海ラジオ派が多かったけどな。
日曜日とかはどっちも休みだったので、大阪とかの放送きいとったわ。他の曜日は大阪や東京の電波はほとんどきこえへんかたけど、日曜日だけは聞こえた。その大阪の放送も、深夜1時くらいに終りさみしかったなぁ。
CBCのは蒲郡でファンの集いがあって、高1の時蒲郡の方まで行った。中島こうじアナやゲストの森山良子にサインもらった。
wikiによると局アナの労働時間の問題で、深夜放送から局アナが撤退し、CBCのヤンリクは終わったらしい?。人気がなくなったからやと思ってたわ。局アナの深夜放送は、昼間のニュースでまじめにニュース読んでる姿とのギャップが自分的にはおもしろかったし、そんな地味な番組にも興味もてたなぁ。
その後ミッドナイト東海を聞くようになって、一番覚えてるのは、森本レオが「赤ずきんちゃん・・・」なんとかという映画、確か主演の男優はのちに東映の社長になった人のヒロイン役の新人女優に憧れ、ラジオで一生懸命モーションをかけていたこと。ローカルタレントがそんなん無理やでと思っていたけど、最終的には結婚してしまったのは、ビックリした。というより、何だか嬉しかったぁ。
ちょっと前置き長過ぎたが、今その頃の洋楽のビデオをYouTubeで漁って見まくっている。あの頃ほとんどそんなん見れやんかったもん。
とりあえずBeeGeesをあさっていて、オーストラリア時代のものまで見れてすごい!
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