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小学生にワープ1 [小学生の頃の思い出]

オレは昭和の終わりまで村だった田園地帯の小さな村に生まれた。

平坦な土地であるので山奥の村のように、過疎化の波にのまれることもなく、逆に近年は都市化が進んでいる。小学校はオレらの時は全部1クラスだったが、今はだいたい3クラスあるようだ。平成の大合併で隣接した市と合併した。形は対等合併であったが、実質は吸収されたようなものである。

まあそんなとこに生まれたんさ。


クラスのほとんどが農家だった。オレみたいにサラリーマンの家庭はほとんどなかった。当時ではまれな共稼ぎで母が小学校の先生をしていたので、ほかの家庭より頭一つ裕福だった。幼稚園児の時、近所で三番目に家にテレビが入った。長嶋選手がCMに出ていたサンヨーのテレビだったのを覚えてる。お昼に月光仮面をやっていたので、近所の子たちが集まってきた。紅白歌合戦は大人の人たちも見に来た。家がにぎやかで嬉しかった覚えがある。

しかし、高度成長のカーブは急激に右上がりになり、あっという間に近所にもテレビは普及し、うちへテレビを見に来る人はいなくなった。

このようにテレビが来た日はよく覚えているが、物心つくと共にテレビがやってきたので、テレビのないそれまでの生活は全く覚えていない。「どんな生活しとったんやろ」と時々思う。

それ以来テレビは一番の友達なんかも知れない。今の時代パソコンやスマホはあるけど、テレビがないとなんとなくさみしいんさ。


小学校3年くらい、アニメの鉄腕アトムがはじまった頃には、テレビの普及率は100%になった。民放テレビ局は2つしかなかったんで、子どもはみんな同じ番組見とったんやと思う。8時台になると、ちょっと大人テイストな青春ドラマとかがはじまり、うちの親だけはそれを見せてくれやんだ。記憶違いかもしれんが、東海地方は東京キー局の複合ネットで、鉄人28号が8時台に放送され、それが見れなかったのが悲しかった。何より学校で話題の中に入れやんのがな。


うちは何か知らんけど教育によくないということで、漫画本は買ってくれなかった。これも悲しかったなぁ。冒険王とか少年とか少年画報とかいろいろ月刊漫画があって、読みたかったけど絶対あかんだわ。結局それらの本はテレビの普及でだんだん廃刊していったけどな。

漫画本を買ってもらえやんだ反動で、自由になって漫画にのめり込むと思うやろ?

でも、オレは漫画に全然興味がなくなってしもた。大学生の頃少年マガジンとか大流行したときは、話を合わせるためむさぼり読んだが、今思うとやっぱり無理に読んでた感があるなぁ。


中学生の頃になると、家にテレビが増えて、だんだんパーソナルなものになってくる。みんなが寝静まったころ、こっそり11PMを見るのが楽しみやった。大橋巨泉や藤本義一は夜の学校の先生みたいなもんやった。

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