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オレのいっとった大学人気6位 [70歳のじいさんにも青春はあったのだ]

京都に憧れた高校3年生だったが

結局京都の大学へは行かなかった

行けなかったが正確な表現かも


オレの欠点は変に現実的なところ

大学選択もそうだった

自分の模試の偏差値と授業料だけで志望校を決めてしまった

京都だけに絞り数打てば当たったかもしれないのに

自分の偏差値に合わせて、関東関西と散らばらせてしまった

ここに来て親の負担を少しでも減らそうと、授業料の割安なところばかり選んでしまった

うちは特に貧しいわけでもない中流家庭だったし、親もそんなこと拘ってなかったのに

場違いな親孝行心だった

一応京都は同じ大学学部二つ受けたが討ち死に

結局一個だけ受かった東京の大学へ進学した

仲いい友達が、オレの第一志望の大学を滑り止めにしてて

彼は第一志望の国立大学受かり、当然のことながらその大学蹴り飛ばしたとき

ほんとうに惨めだった

そして、もっと惨めだったのは、その京都の大学諦めきれず

違う友達Tに頼んで、大学に直接合否確認の電話してもらったことである

Tはちょうどその日パチンコで負けて、少ない報酬でもオレの無理な願いを聞いてくれたのだった

そんなん合否に間違いあるわけないわなぁ・・・

この話は今でも惨め自慢できるわさ


そして、オレは東京のその大学へ進学した。

でも、オレは全然なじめんかった

オレのクラスは附属第二高校からあがってきたやつらが固まっていた。

第二高校は横浜近郊でおれからしたら都会のやつらだ

田舎もんとしてのコンプレックス、関東弁へのコンプレックス、

上京し誰も知らない中ポツンと一人いるオレに対し、

はじめから知り合い同士のやつらがクラスをしきっているのがたまらなかった


ところがそうやってひがんでいるのはオレだけじゃなかった

だんだんひがみグループが集団をつくり、クラスは二つに分裂


ひがむ心はちょっとした憧れの裏返し

オレはそいつらから寝返ったのだ

しかし附属のやつらと仲良くなったのは嬉しかったけど

元のグループを裏切ったみたいで、心から喜べなかった

そういう葛藤はあとの人生で役立つかも知れないが

とりあえずオレにとっては、楽しい大学生活とはいえなかった


ただ武道館の近く北の丸公園でやつらがいつもやってたソフトボールかハンドベースに少しだけ参加できたのは

今となっては楽しい思い出である


オレたちの大学は学生運動のあるセクトの拠点校で

ことあるごとに大学側がロックアウトした

その一時代前学生側のバリケードストだっただったが、その頃は大学側が先手をとったのかそうだった

しょっちゅう定期テストがレポートにかわり

そのおかげで卒業できたみたいなもんやけど

オレは前述したようにこの大学への進学をよしとしてなくて

それが理由にはならないけど、ふざけて第1外国語をフランス語にしたのだった

ほんとふざけかたがおかしい

フランス語の先生の一人に芥川作家の人がいて、そのレポートは動詞の活用形を書くだけでほんとうに助かった

もう一人の先生も有名な人でたまにマスメディア出てくる人だったが、その人の課題は結構厳しめで苦労した

                                         つづく 

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