父は大阪大空襲で、自宅を失い職場を失った。特に父の住む港区は米軍爆撃の照準点で激しいものであったという。職場の日立造船は軍需工場でもちろんのこと狙われた。そんな厳しい状況の中、九死に一生を得たからこそ、私に命がつなげられた訳だ。生き延びてくれたからこそ、自分は生を得ることができたのである。改めて誕生日は、自分に命をつなげてくれた両親に感謝する日だと思う。(家を焼かれしばらくは防空壕で暮らし、その後祖父の故郷に帰ったが住むところもなく、親戚の鶏小屋にしばらくいたらしい。)

 写真の辞令は、旧制中学を卒業し就職した日立造船のものである。燃える物は全て失ったはずなのに、なぜかこの辞令だけは残っていた。戦火の中生きぬいた証しなのかも知れない。ちなみに、この日立造船の焼け跡はUSJ(ユニバーサルジャパン)になってるらしいですわ。その話が分かってから、ぼくにはUSJは平和の象徴のように感じるんです。

 昨日からUSJも再開したそうですね。だからほんとよかった。USJにはほとんど関心はないけど、親父が過酷な青春を過ごした場所を訪ねてみたいと思ってます。